| 大正4年(1915) | ヘチマコロン誕生。ついで、ヘチマクリームや頭髪香水ヘチマベラーム(ヘアトニック)を販売。 |
| 大正12年(1923) | この頃より広告活動が活発になる。作品「1」 |
| 昭和2年(1927) | この頃より男性にも売り込む広告を始める。作品「1」 作品「2」 |
| 昭和5年4月 (1930) |
「日本のファンに好かれる歐米キネマ女優は誰か」作品「1」 作品「2」 と銘打ったキャンペーンを実施。 (昭和5年4月2日 東京朝日新聞。当選発表は5月21日) |
| 昭和5年8月 (1930) |
竹久夢二、唄並びに絵による新聞広告を実施。作品「1」 (昭和5年8月3日東京朝日新聞) |
| 昭和5年10月 (1930) |
ハリウッド女優を“巧み”に広告に活用する。作品「1」 作品「2」 (主婦の友 昭和5年10月号、婦人サロン昭和7年9〜11月号) |
| 昭和6年6月 (1931) |
日本初のトーキーPR映画「ヘチマは踊る」(帝キネ・全2巻・浅草常盤座にて上映)を制作。 なお他社のトーキーPR映画として、昭和8年、エビスビール 『ほろよい人生』、 明治製菓『純情の都』(PCLトーキー映画)がある。 |
| 昭和6年10月 (1931) |
“美人となる秘訣座談会”を開催。作品「1」 作品「2」 (主婦の友 昭和6年10月号) |
| 昭和7年3月 (1932) |
婦人公論に、短編小説による広告『愛戀の花』を掲載。作品「1」
作品「2」
作品「3」 (婦人公論 昭和7年3月号) |
| 昭和8年4月 (1933) |
主婦の友において広告に関する感想募集。作品「1」
作品「2」
作品「3」 (主婦の友 昭和8年4月号) この頃、主婦の友の表4に河野鷹思の絵による広告を展開。作品「1」 作品「2」 |
| 昭和8年5月 (1933) |
女性雑誌において「片岡知恵蔵相手役女優募集」のキャンペ ーン を展開。作品「1」 (主婦の友 昭和8年5月号など) |
| 昭和8年7月 (1933) |
片岡知恵蔵相手役女優・第1回予選発表。作品「1」 (婦人公論 昭和8年7月号など) |
| 昭和9年頃 (1934) |
松竹少女歌劇団を後援する。作品「1」
作品「2」 (昭和9年11月25日、東京朝日新聞) |
| 昭和10年5月 (1935) |
エフレム・ヂムバリスト独奏会を後援。作品「1」 (昭和10年5月5日東京朝日新聞) また、この頃より、山六郎デザインによる広告を展開。 作品「1」 作品「2」 |
| 昭和10年6月 (1935) |
SSKのオリエ津阪を後援。作品「1」 以後、オリエ津阪、ヘチマコロンの専属女優としても活躍。 |
| 昭和12年頃 (1937) |
この頃より映画女優を多数広告に起用。作品「1」 作品「2」 |
| 昭和28年3月 (1953) |
ヘチマコロン本舗 株式会社・近源商店を解散し、 「株式会社ヘチマコロン」を創立。 |
| 昭和31年頃 (1956) |
女性雑誌各誌に『ヘチマ公論』をシリーズ広告として展開。 (昭和31年6月・7月号主婦の友など) |
| 昭和60年代〜 | 再び広告活動を積極的に行うようになる。 数々の広告賞を受賞。アドギャラリーをご覧ください。 |